文保寺参道マップ
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楼門(仁王門)
楼門(仁王門)は、元中2年(1385年)、鎌倉五山のひとつ建長寺の楼門を模して建立されましたが、戦国時代末の天正年間(1573~1592年)に明智光秀の丹波攻めに遭い焼失、現在の楼門は天正末期に建立されたものと伝わります。
その後、大正時代に下層部を解体修理しております。三間一戸で、屋根は入母屋造、肘木には唐様形式が見て取れますが、全体は和様を基調としています。全体的には室町時代末期の構造的風格があり、丹波篠山市内最古制を遺し、1972年に市文化財に指定されています。
また、楼門内には、阿形像と吽形像の仁王像をお祀りし、神通力で外敵を追い払い、寺院を守護して来ました。この仁王像、丹波攻めの後の制作と伝わっておりましたが、2018年の再興700年の折に解体修理を行った結果、永和4年(1378年)、侍従法眼と弁法橋という仏師の作と判明しました。丹波攻めの災難を乗り越え、600年余りに亘って山内を見守り続けてきた仁王像は、2018年に市の有形文化財指定を受け、この後も変わることなくその役目を続けてくれます
参道から本堂へ
白髪岳と松尾山を望む山裾に伸びる、緑と自然豊かな参道です。
四季折々の草花、奥深い幻想的な山々や森林の風情を感じながら、本堂へと続きます。
本堂
「文保寺」は天暦の乱(947年)の兵乱によって荒廃しましたが、鎌倉時代後期の正和年間(1312) 、花園天皇の御代に再興されました。
そして、文保年間(1317)に宝鏡寺の宮門跡一品親王より寺号「文保寺」の勅額を賜り松尾山文保寺と改められました。
明智光秀による丹波攻めのときに焼失、再び荒廃しましたが、江戸時代に再興されました。
本堂内外には、六代目「中井権次橘正貞」の彫刻が数多く彫られています。正面に立つと、向拝中央には、大きな龍が見下ろしてまず出迎えてくれます。
さらに、珍しいのは扉にはめ込まれた12枚の人物と動物の透かし彫りです。堂内にも、極楽浄土に住んで美しい声で歌うという迦陵頻伽などが彫られています。
ご本尊
大化年間(645)インドより来朝された法道仙人が、自作の聖観世音菩薩を本尊として聖備山長流寺を開基し、後、天暦の乱(947年)で堂宇は焼失しましたが、聖観世音菩薩は今田本庄の里に安置されていました。
その後、正和年間(1312)花園天皇の御代に再興され、慈覚大師作の千手観世音菩薩を安置して再興され、以後聖観世音菩薩とともにご本尊として安置しております。
鐘楼
林城院
法道仙人塔
愛宕社と山王社
觀明院
- ご本尊:阿弥陀三尊仏
- 塔頭寺院の一つで、通称下寺と呼ばれています。
檀信徒各家の別仏壇を設けている位牌堂は、五間半、六間四面の銅板葺きで、滅罪回向の道場となっています。
その南側に弁天社があり、白龍弁財天を安置。
位牌堂前には、童男童女の加護と水子・早逝児童を供養する子安地蔵を安置。
安政年間に建立された入母屋造りの庫裡内には観音堂があり、十一面観世音菩薩、毘沙門天、吉祥天、元三大師像を安置。
大勝院
- ご本尊:十一面観世音菩薩
- 塔頭寺院の一つで、通称中寺と呼ばれています。
檀信徒各家の別仏壇を設けている位牌堂は、鉄筋コンクリート造りの和洋建築。
ご本尊の脇士仏として、虚空蔵菩薩、不動明王、地蔵菩薩、釈迦如来、阿弥陀如来等の諸尊を奉安し、檀信徒各家の不断の回向道場としています。
位牌堂前庭には、大慈悲の眼差しで来る人々に優しく語りかける観世音菩薩の石仏を安置。
木造入母屋造りの庫裡には、阿弥陀如来、傳教大師像を安置。
眞如院
- ご本尊:阿弥陀如来
- 塔頭寺院の一つで、通称上寺と呼ばれています。
五間半四面のコンクリート造りの位牌堂は、檀信徒の位牌を安置した回向道場。
位牌堂の横に書院、庫裡の南側には客殿を配し、前庭には、水子供養のための六尺のお地蔵様を安置し、広く信仰を集めています。